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| Vo. 寺田恵子 | Key. 中村美紀 | Dr. 角田mittan美喜 | Bass. 仙波さとみ | Gtr. 五十嵐sun-go美貴 |
| Keiko Terada part: VOCAL they call: Keiko birth:July 27th |
Miki Nakamura part: KEYBOARD they call: captain birth: September 27th |
Miki Tsunoda part: DRUMS they call: mittan birth: December 7th |
Satomi Senba part: BASS they call: sato-chan birth: August 28th |
Miki Igarashi part: GUITAR they call: sun-go birth: November 21st |
1982年、ヤマハ主催のバンドコンテストレディース部門で最優秀グランプリバンドを受賞後、1985年、東芝EMIよりメジャーデビュー。実力派女性バンドとして脚光を浴びる。寺田恵子在籍時、11枚のシングルと8枚のアルバムをリリース。
7thアルバム「Outerlimits」は、60万枚を売り上げ、チャート誌の4位となる。また、8thシングル「限界LOVERS」は30万枚突破のロングセラーとなった。 2回の武道館公演の他、87年からは自らのプロデュースで女性アーティストだけを集めたイベント『NAONのYAON』を毎年1回日比谷野音で開催。
海外でもロンドンやL.A.、モスクワ、メキシコシティ、などでライブを行い、注目を集める。特にL.A.のライブでは、ロサンゼルスタイムスのフロントページを飾る快挙を成し遂げる。
1991年2月、方向性の相違から寺田恵子が離脱。その他のメンバーは、ステファニー・ボージャスをボーカルとして迎え、第2期SHOW-YAをスタート。
同年6月には北朝鮮に国賓として招かれ、万寿台芸術劇場にて2日間コンサートを行う。当時、画期的な出来事としてマスコミ各媒体に大きく取り上げられる。その後渡米するなど精力的に活動を続けたが、1998年9月SHOW-YAとしてのバンド活動を終了する。
以後、各自ソロ活動を開始、音楽制作や数々のアーティストサポートなどの活動をしていた。
その間、寺田恵子は1992年に「PARADISE WIND」(バルセロナオリンピックNHKイメージソング)でソロデビュー。今までに、シングル7作品、アルバム5作品をリリース、ミニアルバムを4枚を発表している。音楽以外の活動も積極的に行い、2004年には「ROCK’N JAM MUSICAL」にてミュージカル初舞台を踏む。
数年の沈黙を破って、デビュー20周年の本年、2005年オリジナルメンバー5名にて再結成!!!
10月23日(日)NHKホール にて SHOW-YA Is Back!!!
- 1985年
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7月 ロンドンのライブハウス(HALF MOON, DING-WALL’S)に飛び入り参加。
8月 12インチシングル「素敵にダンシング」でデビュー。
9月から翌年2月までコカコーラのCM/CFに出演。ロンドンABBEY ROAD STUDIOでミックスダウンをした1stアルバム「MASQUERADE SHOW」を9月にリリース。
10月にはHANAE MORIビルにて1st SHOWを行う。
11月には再びロンドンMARQUEE CLUBにメインアクトとして出演。
12月東京日本青年館にて凱旋コンサートを行う。 - 1986年
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2nd シングル「しどけなくエモーション」を2月にリリース。
1st同様、ABBEY ROAD STUDIOでミックスダウンした2nd アルバム「QUEENDOM」を3月にリリース。
4月 東京中野サンプラザ、大阪厚生年金会館で「QUEENDOM SHOW」を行う。
同じく4月よりニッポン放送「オールナイトニッポン」木曜日二部のパーソナリティを担当する。
7月 東京後楽園ホールで、ワンマンSHOW実施。
8月、3rdシングル「ONE WAY HEART」リリース。
9月 3rd アルバム「WAYS」リリース。11月には全国の学祭、13ヵ所出演。 - 1987年
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1月、4th シングル「その後で殺したい」リリース。
2月、4th アルバム「TRADE LAST」リリース。
4月「DATE LINEツアー」を行う。
5th シングル「水の中の逃亡者」(テレビ朝日系「大都会25時」テーマ曲)を5月にリリース。
6月ライブビデオ「DATE LINE」リリース。
7月「IMMIGRATION ツアー」を行う。
9月、プロデューサーにANDY JOHNS(LED ZEPPELIN, CINDERELLA etc)を迎え、ニューアルバム、ミックスダウンの為L.A.へ。
帰国後、自らの企画による女性ロッカーのみを集めたイベント「NAONのYAON」を日比谷野外音楽堂にて行う。
11月には全国学園祭20ヵ所に出演。
又、6th シングル「孤独の迷路(ラビリンス)」をリリース。
11月、5th アルバム「IMMIGRATION」リリース。 - 1988年
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1月から2月にかけて「TOUR OF IMMIGRANT」(首都圏ホールコンサート全国20ヵ所)を行う。
4月、6th アルバムのレコーディングを開始。前作同様、L.A.にてANDY JOHNSによるミックスダウン。
初のU.S.A.ライブを、THE ROXY THEATERにて実施。
この4/27のROXYをVOL.1として、半年間で100本ライブを行う、「SHOW-YA 100 LIVE(ワンハンドレット ライブ)」をスタート。
5月ライブアルバム「TURN OVER」リリース。
6月、7th シングル「愛さずにいられない -STILL BE HANGIN’ ON-」リリース。
6th アルバム「Glamour」を8月にリリース。
9月SHOW-YAプロデュースによる「NAONのYAON2」実施。
10月、日墨修好100周年国賓として招かれメキシコにて4日間コンサートを行う。
帰国後、全国学園祭100LIVE 20ヵ所出演。
12月、ベストアルバム「WHITE」リリース。
12/31 ROCK’N ROLL BAND STAND を100本目として、「SHOW-YA 100 LIVE(ワンハンドレット ライブ)」達成! - 1989年
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2月 8th シングル「限界LOVERS」(昭和シェル石油’89イメージソング)リリース。
「Rollin’ World Tour」(全国主要都市ホールツアー 2/7 – 5/25 )実施。
6月 9th シングル「私は嵐」リリース。
7月には2度目のL.A. LIVEをGazzarri’s、ROXYにて行う。
8月モスクワで日・米・ソ・西独各国の6アーティスト参加による、チャリティーコンサート「MUSIC SUMMIT」に日本代表として招かれる。
7th アルバム「Outerlimits」を9月にリリース。
恒例の「NAONのYAON3」を2日間開催。
10月には全国学園祭23ヵ所に出演し、この年の最多出場バンドに選ばれる。 - 1990年
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1月に3度目のL.A. LIVEをThe PALACEにて行う。L.A.の業界関係者、ミュージシャン等、大絶賛。特にLos Angeles Timesでは、日本人初の1面トップにて大々的に扱われる。
3月 10th シングル「叫び」リリース。「REACH FOR THE WORLD TOUR」実施。
4月ビデオクリップ集「叫び」リリース。
6月 アルバムレコーディングをL.A. DEVONSHIRE STUDIOにてスタート。2ヵ月間のレコーディングを行う。
8月 ライブビデオ「1990 BUDOKAN – REACH FOR THE WORLD -」リリース。又、「NAONのYAON4」前夜祭をMZA有明にて開催。
11th シングル「ギャンブリング」を9月にリリース。
恒例となった「NAONのYAON4」を2日間開催。
10月 8th アルバム「HARD WAY」をリリース。プロデュースはBEAU HILL、PAUL WINGER、マスタリングはTED JENSEN(N.Y)が担当。 - 1991年
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1月「SHOW-YA 1991 HARD WAY TOUR」実施。
ビデオ「DISTANCE -ON THEIR WAY- 1990 IN L.A.」リリース。
2月2日名古屋市公会堂をもって方向性の相違から寺田恵子SHOW-YAを脱退。第一期SHOW-YA終了。
寺田恵子はこの後約1年半、休養期間をとる。SHOW-YAは第二期SHOW-YAとして活動する。
4月 ライブアルバム「HARD WAY TOUR 1991」リリース。
5月 ライブビデオ「HARD WAY TOUR 1991」リリース。
6月 ベストアルバム「SHOW-YA GREATEST」リリース。
6月 北朝鮮に国賓として招かれ、万寿台芸術劇場にて2日間コンサートを行う。
当時、画期的な出来事としてマスコミ各媒体に大きく取り上げられる。 - 1998年
- 9月、「SHOW-YAとしてのバンド活動を終了する。
- 2005年
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数年の沈黙を破って、デビュー20周年の今年、オリジナルメンバー5名にて再結成!
10月23日にNHKホールにて、「SHOW-YA大復活祭」を行う!




